ストーマ保有者の方々の体験談

一時的ストーマ、永久ストーマに関わらず、ストーマを造設することで生活スタイルが変わることもあれば、変わらないこともあります。個人差はありますが、ストーマのある生活に慣れるまでに多くの時間がかかる場合もあるかもしれません。どのように対応するかは状況によって異なります。ストーマのある生活を送られている方々のご経験を紹介するストーリーを集めました。参考にしてみてください。

ハイジ

2002年から イレオストミー (回腸ストーマ)
イギリス

私は 16 歳のときにクローン病と診断されました。診断される前の 1 年間は、極度の消耗、痛み、嘔吐、下痢、体重減少に見舞われ、本当に辛い思いをしました。極度に衰弱し、体重は 38 キロを切っていました。食べることもできず、食べ物のにおいがしただけで吐き気を催すほどでした。その痛みは、誰かが私の腹部にナイフをずっとねじ込んでいるような感覚でした。歩くこともままならず、四つん這いになって階段を這い上がるのが精一杯で、少しでも体に触れられると、殴られたような激痛が走りました。

新居に引越し新しい学校にも通い始めましたが、なかなか馴染めませんでした。家庭医からは、移動からくるストレスが症状として現れていると当初診断され、元気づけるために強壮剤を処方されました。それでも改善されないと、今度は拒食症ではないかと疑われました。私と心配症の両親はその意見には反論しましたが、医師からは何の救いの手も差し伸べられませんでした。

体がとても弱っていたので学校でGCE試験を座って受けることもできず、翌年の大学受験に向けて体力をつけることに専念しました。ところが、その年の 9 月に大学が始まって 1 週間も経たないうちに、緊急手術を受けるために入院し、大腸の 3 分の 1 を摘出し、ようやく診断を受け薬剤を投与してもらいました。

長期にわたって疾病や激痛に悩まされましたが、20 代の頃は人生を謳歌するために精力的に旅行に出かけました。旅行費を稼ぐために、手品師の助手、タイムシェアの勧誘、ピアノ バーの歌手、サーフショップのデザイナー/制作者、太平洋横断セーリングのクルー、映画やテレビのエキストラ、読者モデル、保育園の先生など、多種多様な仕事をこなしました。

旅行中に入院を余儀なくされることもありました。入院時に、香港のアバーディーン病院で医学生に体内を撮影されたこともあります。夫とは香港で出会いました。

2002 年にイギリスに戻ってきてからは、ひどい妊娠の陣痛を二度経験し、二 人の可愛い子供に恵まれました。ただ、体調はひどくなるばかりでした。また病気になり、痛みや下痢のほか失禁にも悩まされるようになりました。そして、大腸の残りの部分が完全に閉塞したため入院となりました。このときに初めてストーマケアの看護師を紹介されました。イレオストミーを造設する可能性があるかもしれないので心の準備をしておくようにと看護師に伝えられましたが、私としてはこれ以上苦しみたくなかったので、すぐにでも造設してほしい気持ちでした。これ以上の病状悪化と苦痛を食い止めるために、私はその日に手術を受けることを決めました。

ストーマ造設術の前に何回か手術を受けたことはありますが、この手術の前夜は不思議な気持ちがして、外科医に手術に同意することを伝える前に、手術中に万が一何か起こる可能性はありますかと尋ねました。外科医は心配することは何もなく、起こり得る合併症については知らないほうがいいと言われました。手術は無事成功し、私は回復室で安静にしていました。夫は、大掛かりな手術の割には顔色がとてもいいよと言ってくれました。子供たちをその日のお昼に面会に連れてくるという話でした。

コーヒー一杯を飲みながら、術後こんなに早くにコーヒーを飲んでもいいなんて、と少し不思議に思ったことを覚えていますが、医学の進歩によるものだということにしました。でも、すべてが順調というわけではなく、夫が子供たちを連れてきたときは、噴出性胆汁嘔吐に襲われていました。その日の夕方になって、小腸が完全に「虚脱状態」になりました。小腸が再び機能するまで 4 か月かかりました。6 週間は何も食べれなかったので、体重も激減し、静脈栄養を投与されました。晴れて退院できるまでに 6 か月かかり、その間に、2 回目の回腸瘻造設手術を受けたり、栄養チューブからの敗血症、発作、MRSA などを発症したりしました。

2人の子供たちは当時 6 歳と 9 歳だったので、家族全員にとって非常に大変な時期でした。
入院中に発作を起こしたため、退院の許可が下りた後、運転免許証は 6 か月間停止されていました。一人では何もできないんだと意気消沈した時期でもありました。暇を持て余していたので絵を描き始めましたが、幸運なことに、家の裏の通りにアートスクールがオープンしました。描いた絵を先生に見せに持っていくと、9 月始まりの基礎コースに入れることになりました。最初のストーマ造設術を受けてから 1 年後のことでした。アートは精神的なストレスに非常に有効な療法だとすぐにわかりました。始めてほどなくすると、辛い記憶やトラウマも徐々に消え、作品にぶつけられるようになりました。

芸術家であるからには自分自身に独自性を見出す必要がありますが、私の場合は手術がそれでした。

手術を受ける前も受けた後も、ストーマの話題は切り出しにくいテーマで、今でも根強くタブーとなっています。私はこのタブーを打ち破りたいと考えていて、そのためには、私の作品を見てもらうことから始めようと思っています。私は、病気とストーマの両方の体験に基づいて絵や彫刻を作っており、これらの作品を通して、ストーマに対する一般の人の認識を高めることができればと願っています。

考え方は人それぞれなので、ストーマ袋を見せて回るべきだと提案しているわけではありません。ただ、ストーマを持つ人がそれを恥ずかしいと感じる必要はなく、私の作品を見てもらうことでこの考えが広まるのではないかと考えています。

ストーマを造設して以来、これまでと同じように人生を精いっぱい生きていますが、病気だからといって制限されることはありません。スキューバダイビングや乗馬をしたり、世界中のいろんな場所に旅行に出かけたりもします。去年はモザンビークで 1 か月のバケーションを楽しみ、マンタと一緒にダイビングを楽しんだり、野生のイルカと泳いだりしました。

バンコクでは、ホテルのプールサイドで横たわっているときに、ストーマ袋がビキニから垂れ下がっていたことがありました。それを見たある男性が近寄ってきて、私にとても勇気があるねと言ってくれました。最初は彼の言っていることがよくわからなかったのですが、彼の口から自分もストーマ保有者であること、そしてストーマを大きな水泳用パンツの下に隠していることを聞かされました。私たちはそれから数時間いろんな話をしました。

バケーションも後半に入ると、タイ南部の人里離れたビーチに場所を移しました。湿度が高かったため、ストーマ袋を取り替える頻度は私の予想をはるかに超えていました。追加の装具を取り寄せるためにオーストラリアに電話し、郵送されてきたものの、税関で足止めされてしまいました。ストーマ袋はもう底を尽きかけていました。あと 2 枚を残すのみとなったとき、この小さな島のビーチ沿いを歩いていると、バンコクのホテルで話をしたあの男性と偶然出会ったのです。彼からストーマ袋を何枚か借りて、自分の装具が届くのを待っている間、それらを使うことができたので本当に助かりました。プールサイドでストーマ袋を見せていなかったら、この男性と知り合うこともなかっただろうし、最悪な状況に陥っていたことでしょう。

手術を受けてから、クローン病の薬は一切服用していません。3 年間は半年ごとに病院でフォローアップを受けましたが、血液サンプルは毎回正常値だったので、治療を受ける必要はありませんでした。

自分自身が正常で健康だと考えることはとても大切なことだと私は思います。もちろん、体調がすぐれない日もありますが、大した症状ではないので大丈夫だと自分に言い聞かせています。調子が悪い日は誰にでもあります。食事が原因の場合もあれば、ストレスが原因だったり、ただ単に自分らしく過ごしていないことが原因かもしれません。ところが、診断を受けて病名が判明すると、私たちは何かしら症状が現れるたびにすぐにその病気のせいにして心配しがちです。これでは病状が悪化する可能性があります。だから私は、気分が悪いときは家の中を歩き回りながら自分に大丈夫だと言い聞かせています。そうすると本当に大丈夫なのです。

時折、病院から新しいストーマ造設患者に会いに来てほしいと頼まれることがあります。その場合は普通、私自身がストーマを持っていることは教えません。患者にはそれぞれの体験について話してもらい、その後で、私自身もストーマ保有者であることを伝えます。すると大抵の場合、患者は非常に感情的になります。その理由は何だと思いますか? それは、患者には私がストーマ保有者であることは見ただけではわからないからです。ストーマを造設しても、見た目は「普通」で、普通の生活を送れることがわかると、患者は安堵感から気持ちが高揚するのです。誰でも普通の生活を送ることができます。必要なのは強い意思であり、それさえあれば何でもできるのです。可能性は無限です。何にでも挑戦できます。

ストーマ袋に対して期待するものは、付け心地と安心感です。ストーマを気にすることなく毎日を過ごしていくことができなければなりません。私のライフスタイルと同様に、私のストーマも非常にアクティブで形状が変わりやすいものです。このため、自由に体を動かすことができて、漏れや不快感を心配するのではなく、柔軟性の高いストーマ装具が私には必要です。大抵の場合、自分がストーマ保有者だと考えることさえありません。装着しているストーマ袋は目立たず、若干のお直しはあったものの、手術前に着ていた服のほとんどを着ることができています。私は二品系装具を使用しており、毎朝シャワーを浴びた後にストーマ袋を交換しています。こうすることで、新しい気持ちで一日をスタートさせることができるからです。でも、ストーマがあることやそれに関連するすべてのことはもう自然なことになっているので、何の邪魔にもなりません。