ストーマ保有者の方々の体験談

一時的ストーマ、永久ストーマに関わらず、ストーマを造設することで生活スタイルが変わることもあれば、変わらないこともあります。個人差はありますが、ストーマのある生活に慣れるまでに多くの時間がかかる場合もあるかもしれません。どのように対応するかは状況によって異なります。ストーマのある生活を送られている方々のご経験を紹介するストーリーを集めました。参考にしてみてください。

マシュー

2007年から イレオストミー (回腸ストーマ)

15 歳のときの診断

子供時代と十代の頃はとても活動的で多くのスポーツをしていました。15 歳のときにクローン病だと診断されてからは疲れやすくなっていきました。薬による治療を受けましたが以前の身体レベルには戻りませんでした。多くの問題や痛みを抱え、18 歳のときに大腸狭窄のため初めて手術を受けました。手術を受けてから 5 ~ 6 年は健康な状態が続き、その後金融分野の教育を受けました。

入退院の繰り返し

24歳になったときからまた問題が起こり始めました。頻繁に痛むようになり、ストーマ造設術を受けるまでの数年間はとても辛かったです。痛みで目が覚め、仕事中も痛みは続き、自宅ではほとんどの時間をベッドで過ごしていて、社会生活はほとんどなく生活の質は低いものでした。

頻繁に熱が出て入退院を繰り返しました。何度も検査やスキャンを受けましたが、問題はわかりませんでした。さまざまな種類の薬を飲みました。医師も薬により問題が解決し、クローン病の症状が和らぐことを願っていました。しかしその願いは叶わず、状況は悪化するのみでした。尿路感染の症状により、発熱には抗生物質による治療を行いました。退院はしましたが病状は良くならず、歩けなくなるまで悪化したためすぐに救急病院に戻ることになりました。さらに検査を受けた結果、痛みと発熱の両方が腸内の膿瘍と瘻孔によって引き起こされていることがわかりました。その後、このような問題に対処できる専門科があり、手術後の回復率がより高くなる可能性のある治療を行う専門医がいる病院に転院しました。私の病状はかなり悪く、栄養剤を静脈内投与して手術に備えなければならないほどでした。

ストーマ造設術

ストーマ造設術が必要だと告げられたとき、私はストーマが何なのかわかりませんでした。一度も耳にしたことがなかったのです。病院の壁に貼ってあるチラシに書かれた情報は見たことがありますが、私のような者ではなく、年配の患者にしか関係のないことだと思ったためよく見ていませんでした。コロストミー用の袋について聞いたことはありますが、ストーマと関係しているとは聞いたことがありませんでした。手術を終えて目が覚めたとき、私には活動的な回腸ストーマ、粘液瘻孔、そして機能していない結腸ストーマの 3 つのストーマがありました。

ストーマ造設術の後の数週間はとても大変で、私はとてつもなく大きな生活の変化を受け入れようとしていました。最初の頃は、排泄されるものが柔らかく水のようであったため排泄物が頻繁に漏れました。夜中に漏れが起こると、掃除をして新しいシーツに取り替えなければならない上に排泄物により肌が痛んだため、とても失望していました。最初は、残りの人生ずっとこうやって過ごさなければならないんだろうかと思いました。でもそうではありませんでした。

ストーマがあって良かった点は、未来について前向きになれたことでした。痛みも和らぎ、食事の量も増え、普段の生活へと戻りつつありました。

新しい生活に立ち向かう

私は、やがてストーマがある生活することに慣れてきました。私の経験からすると、ストーマがある生活が長くなるほど、ストーマの管理は簡単になります。私は、特に外出をするときなどは予備のストーマ装具を常に持ち歩くなどして準備を怠らないようにすることで、ほとんどの状況を乗り切れることを学びました。

最初は、ストーマは社会生活に悪影響があるのではないかと考えていました。地元のフットボールチームを応援しに行ったり、夏にクリケットを観に行ったりするなど、今まで楽しんでやっていた多くのことができなくなると考えていたのです。私の友人と家族は皆支えてくれ、必要なことは何でも助けてくれました。私に対する見方が変わった人はいないと思います。

ストーマを持っている人やこれから持つ人への私からのアドバイスは、比較的普段どおりの活動的な生活を送ることができるので心配しすぎないことです。

私の家族

私はクレアという女性と一緒に住んでおり、私たちは10年ほどの付き合いになります。私と一緒に楽しいことも辛いことも経験してきた彼女は、私の大きな支えとなってくれています。粘液瘻孔と結腸ストーマを閉鎖する最後の手術を受ける前に、外科医に下半身の手術は生殖能力に影響がある可能性があるため、手術の前に子供を作ることを薦められました。私たちはそれに従い、幸運にもほどなくして彼女は妊娠しました。

私たちの娘のミリーは、2回目の手術の数か月前に生まれました。本当に素晴らしいことです。時々、手術を受けていなければこの子は授からなかったのではないかと思うことがあります。娘が 8 か月になったとき、クレアは教師としてパートタイム勤務を開始し、私は出産休暇を取りました。娘の近くにいて、一歩一歩と成長していく様子を見届けることは、私が絶対にやりたかったことなのです。娘が誕生してからのこの1年は、人生で一番幸せな時間だと心から言えます。