ストーマ保有者の方々の体験談

一時的ストーマ、永久ストーマに関わらず、ストーマを造設することで生活スタイルが変わることもあれば、変わらないこともあります。個人差はありますが、ストーマのある生活に慣れるまでに多くの時間がかかる場合もあるかもしれません。どのように対応するかは状況によって異なります。ストーマのある生活を送られている方々のご経験を紹介するストーリーを集めました。参考にしてみてください。

ビアンカ

2001年から コロストミー (結腸ストーマ)
オランダ

笑い話ではないけれど、笑い飛ばしてしまった

私は 20 歳の時に、クローン病と診断されました。瘻孔と膿瘍による強い痛みがありました。手術前の容態は極めて悪化していて、生きるか死ぬかの瀬戸際でした。あまりにも重篤だったため、3 週間の間に手術を 2 回行い、数日間集中治療室で過ごしました。容態がよくなり、私は少しずつストーマを受け入れ始めましたが、すぐには受け入れられませんでした。夫は本当に献身的に支えてくれています。常に私のそばにいてくれました。私たちはいつも冗談を言い合っていたので、ストーマについても笑い飛ばしたことは救いになりました。冗談を言って笑うことで、人生の明るい面を見ることができ、同時に気分もずっと楽になりました。

 
トラウマがあった私は誰かにお腹を触られるのを非常に恐れ、誰にも自分のお腹を触らせたくなかったので、ストーマの管理は自分でしました。問題なく管理できました。始めは単品系装具を使用していましたが、コントロールが難しく漏れがよく起こりました。私には二品系装具の方がずっと向いています。今では安心でき、漏れを心配することもなくなりました。面板は 3 日ごとに、ストーマ袋は毎日交換しています。実際、お手洗いに行くときは、ストーマを造設する前のときのように夫ではなく私が夫を待つようになりました。

隠さずオープンでいる

手術の後、私のお腹が通常の状態に見えるようになるまでに長い時間がかかりました。お腹が膨らんでいたため、妊婦のように見えたのです。私は人からじろじろ見られ、ストーマが見えているのではないかと感じました。長いこと会っていなかった人から、出産予定はいつか聞かれることもありました。「ストーマ造設術をしたばかりなんです」と私は答えました。隠し事をしないことは私にとって助けになりました。私はオープンな性格なので、ストーマを持っていることについて話せることができれば大きな助けになると思っています。タブーであってはいけないのです。オープンでいることは、ストーマ造設術を受けなければならない他の人々の助けにもなります。患者会でボランティアをしているとき、私はストーマがどんなもので、生活にどのような影響があるかについて話しています。ストーマを造設するぐらいなら死んだ方がましだと思っている人と話すときもありますが、私にはやるべきことがたくさんあります。その人たちと何回か話し合った後でも、まだそのように考える人もいました。そんなとき、私は悲しみと怒りを少々覚えます。

ストーマとヘルニア

私は2 回手術をしたため、ヘルニアを患いました。このため、お腹の見た目はあまりよくありませんが、私はそれでもストーマが大好きです。ストーマのおかげで、今までよりもずっと良い生活を送れるようになったからです。数か月以内に、私は直腸に癌のリスクがあるため、新たな手術を受ける予定です。ストーマとは残りの人生をともにしなければならないので、ヘルニア手術も同時にやってもらえればいいなと思っています。

私の「新しい」生活

私はストーマを造設しましたが、クローン病はいまだに患っています。つまり私は、以前の仕事には戻れないということです。あまりにも疲れ切っていて、ノートパソコンを抱えてソファに横になる以外は何もできず、患者会のウェブページの作業をした日もありました。今ではだいぶ良くなったので、私は美の専門家としての課程を修了し、メーキャップ係として研修を始めました。ストーマを持っているということは、自分のスキン ケアも行き届いていなければならず、年齢を重ねるにつれ、自分自身の面倒を見ることはますます重要になります。私は自分のお肌を健康で良い状況に保つための努力をしています。